赤穂浪士討ち入り

mituyo19412005-12-14

京都 山科義士まつり
元禄15年(1702)12月14日、赤穂浪士が吉良邸に討ち入りしました。それから今年で303年になります。
『山科義士まつり』は、大石内蔵助がお家再興の運動や吉良上野介討ち入りを決意する間、この地に隠棲した史実にちなんで大石内蔵助を偲んで昭和49年(31年前)から始められた祭りです。
討ち入り装束に身を固めた行列が、47士の遺髪を納めた瑞光院で法要を行います。 子供義士も加わり、大石神社まで総勢300人がパレードします。、地元実行委員会の手で運営され全くの手作りの『まつり』です。
10時に山科毘沙門堂出発、12時過ぎに区役所前のスーパー駐車場で催しがあります。



          可愛い幼稚園児の和太鼓奉納です。


山科区長さんの「義士の連判状改め」の儀式、続いて子供義士の「連判状改め」もあり、区長さんが「しかと見届けたぞ」のあとに、子供達に「寒かったでしょ、ご苦労さん」の言葉で見物人から笑い声が上がるひとコマもありました。
休憩後行列は、「大石神社」へと向かいます。


参拝がおわり、四十七士の「エイエイオー」と威勢のいい勝ち鬨が境内に響きました。続いて地元女性の「大石音頭」が披露され、祭りの色を添えられます。


祇園から、芸子さん、舞妓さんも応援に駆けつけてこられ、大石内蔵助さんもご満悦でした。


遥泉院さま、大石内蔵助さんと記念写真、大石力は、利発そうな美少年でした。